圓朝まつりのルーツ
そもそもは、江戸落語中興の祖である三遊亭圓朝師匠の命日8月11日に、墓所のある谷中・全生庵で「圓朝忌」という法要が行われていました。
毎年、落語協会と落語芸術協会が交互に主催して、しめやかに行われておりました。
ご住職による読経、お焼香の後「奉納落語」として代表者が一人、落語を一席申し上げました。これはお客様に対してではなく、ご本尊様と圓朝師匠に奉納するという意味です。従って演者は、列席の皆様に背中を向けて(ご本尊様に向かって)しゃべります。
その後、境内で使い古した扇子を供養するお焚き上げが行なわれ、芸人同士が一杯飲んで親交を深めるという、噺家のための行事で、いわば「法事」という色彩の濃いものでした。
特に世間一般に公開はしていませんでしたが、ファンの方が参加するのを拒否するものでもありませんでした。毎年熱心な落語ファンが数十人いらしていました。
その後芸術協会は撤退し、落語協会が毎年単独で開催するようになりました。
生まれ変わった「圓朝まつり」
そんな「圓朝忌」が、2002年大きく変わりました。
さん喬、権太楼、志ん五ら若手理事が中心となって、その名も「圓朝まつり」とし、ファン感謝祭的なお祭に生まれ変わったのです。
日程も一般のお客様が参加しやすいように「毎年8月11日の直前の日曜日」ということになりました。
圓朝師匠と過去一年間の物故芸人の「法要」、そして扇子供養の「お焚き上げ」は、今まで同様行います。
「奉納落語会」は圓朝師匠に奉納するのではなく、坐禅堂でお客様に聴いていただく寄席形式に変わりました。落語協会主催ですから、低料金で質の高い演芸を楽しんでいただこうというものです。
そして境内では、芸人が趣向をこらしたお店を出します。飲食店あり、販売店あり、またパフォーマンスあり。
お客様と芸人が触れ合う年に一度の「お祭」になったのです。今では3000人を超すお客様が詰め掛けています。
毎年夏の真っ盛り、猛暑の中で行われる「圓朝まつり」は、谷中の風物としてすっかり定着しています。
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